2020年2月13日に開催された「エイカレサミット2019」では、ライフネット生命を創業され、現在は立命館アジア太平洋大学(APU)の学長でいらっしゃる出口治明氏にご講演いただきました。
私たちが「当たり前」だと思っていることが、実は歴史的に見るとそうではない。ではなぜそんなことが起きたのか。対応策はあるのか。出口氏にお話しいただいた内容を、全3回のレポートでご紹介します。
※#1はこちらから
ネイション・ステイト(日本国民)とジェンダー・ギャップ
2020年の「ジェンダー・ギャップ指数」(the Global Gender Gap Report 2020)で、日本の順位は世界153カ国中121位。女性活躍推進が叫ばれるようになって何年も経つのに、いまだにG7の中でジェンダー平等が最低だというのが日本です。
ですが、歴史を遡れば、もともと日本は女性の地位が極めて高い国でした。江戸時代ですら、徳川将軍家の断絶の危機において、次期将軍の徳川吉宗がどのように決まったかというと、天英院という女性の一声でした。明治維新までは、女性の力がとても強かったのです。
僕は、女性の地位が低くなったのは、明治維新以降だと考えています。江戸時代までは、「日本国民」という概念は存在しなかったわけで、明治政府は日本に初めて、ネイション・ステイト(日本国民)という想像の共同体を作らねばならなかったのです。そして、そのネイション・ステイト(日本国民)を作るという壮大な取り組みの中で、天皇制や朱子学とともに、家長を中心とする男尊女卑の考えが広まってしまったと思っています。
さらに、戦後行動経済成長期に生まれた工場モデルは、男女の性別役割分業を加速させました。その流れの中で、専業主婦や3歳児神話が生まれました。「赤ちゃんの時は、お母さんといるのが一番良い」というデタラメを吹き込んで、国をあげて性別役割分業を進めたのです。
一方で、ホモサピエンスまで歴史をさかのぼると、人間は集団で行動し、ベース・キャンプで赤ちゃんや子供たちが一箇所に集められ、高齢者が世話をして、男性と女性は性差なく狩りに出ていました。つまり、赤ちゃんは保育園のように集団で生活するのが人間の営みとして正常な姿だったわけです。著名な人類学者は、「ホモサピエンスは集団保育で社会性を養ってきた」と30年も前から言っています。学者の中で、誰一人として反対する人はいません。
このように、日本のジェンダー・ギャップの歴史は浅く、高度成長期の政策で人為的に作られたものに過ぎないのです。「男は外で働き、女が家庭を守る」という性別役割分業は、日本の伝統ではありません。
男性は子育てをしなければ一人前になれない
最近、国家公務員は1か月の育児休業取得を義務化する動きが進んでいます。これは企業経営者の皆さんにもぜひ導入してもらいたいと思います。最低でも2週間、できれば1か月以上が望ましいと考えています。
なぜなら、男性に育児をさせることで男性は人間として一人前になれるということが、科学的にほぼ100%証明されているからです。
ホモサピエンスは、二足歩行をすることで高度に知能が発達しました。一方で、二足歩行によって産道が狭くなったため、赤ちゃんを未熟児で産まなければならなくなりました。現在の人間は、正常分娩でも未熟児なのです。そして、未熟児で生まれる赤ちゃんの命を守るために、人間の女性は出産とともにオキシトシンという愛情ホルモンが出るように進化しました。逆に言えば、この20万年の間に、ホモサピエンスの中でも、オキシトシンが大量に出る女性しか生き残ることができなかったのです。つまり、オキシトシンの分泌は、人類の生存条件の1つです。
では、出産をしない男性は、どうすればオキシトシンが出るようになるか。答えは出ていて、男性は2週間以上赤ちゃんの世話をすることで、女性と同様にオキシトシンが分泌されるようになることが分かっています。「かわいいから面倒を見る」のではなく、「面倒を見るからかわいいと思えるようになる」のです。
僕が3年間暮らしたイングランドでは、女性がしっかりしているなと思いました。結婚する前に子供を産み、パートナーが子育てをするかどうか見てから籍をいれます。一人前の男性であるかどうかを、子育てへの参加有無で判断するわけです。ちなみに、G7の中で日本以外の国は、全て「できちゃった婚」。第一子の年齢よりも、婚姻年齢の方が遅いです。これもデータを見ればすぐに分かりますし、それが人間として自然な形です。日本だけが歪んでいるということが明らかです。日本企業の経営者は、絶対に男性社員には強制的に育児休業を取らせるべきです。
同調圧力で失われる「正直さ」
欧米の企業では、どんな調査・統計においても、「経営者に必要な資質」のトップにくるのは「正直であること」で、60%を超えます。先進国の中で、日本だけが「正直であること」が重視されておらず、5位か6位で25%くらいです。こういうデータを見れば、いろんな大企業で不正が起こる理由がよく分かりますよね。日本人は正直だと言われますが、データを見ればそうではないと気づきます。
先日、スペインの友人を日本の居酒屋に連れて行ったときのことです。彼に、他のお客さんが話している内容を聞かれ、ちょっと耳をすませてみたら、会社や上司の悪口ばかり。彼にそれを伝えると、驚愕していましたよ。「公衆の場で会社や上司の悪口を言うなんて、信じられない!俺は、ひいきにしているサッカーチームの話をしているのかと思った」と。
どうしてこんなことが起こるのか。日本企業は同調圧力が強いからだと感じます。日本では会社員の多くが、朝から夜まで長時間過ごす会社の中で、面従腹背(めんじゅうふくはい)の天才になっている。その不満が、飲み屋で現れているんじゃないでしょうか。
社員を大切にしない日本企業
日本企業が、社員を大切にしない一番の典型は「転勤制度」です。転勤の自由な総合職が一番上だとする考え方は、非人間的で極めて歪んだ思想だと感じます。これは、2つの傲慢な前提を持っています。
1つは、「社員にとって家は寝るだけの場所だ」と決めつけています。地域との結びつきは一切考えていません。その社員は、日曜日に子供たちに慕われているサッカーの名コーチかもしれない。もう1つは、パートナーはどうせ専業主婦だからどこにでもついてくる」という決めつけです。パートナーにも人生があり、友人や仕事があるということを無視している。転勤というのは、この2つの傲慢な前提のもとに成り立っている、極めて歪んだ制度です。ご存知かと思いますが、グローバルの企業では、転勤があるのは経営者と希望者だけです。生活を壊すわけですからね。
なぜ、このような極めて歪んだ制度が根付いているかというと、戦後の製造業の工場モデルの中で、人口増加と経済成長を前提に、「一括採用」・「終身雇用」・「年功序列」・「定年」というワンセットの世界のどこにもないガラパゴス的な人事制度ができてしまったことが、全ての原因です。
前回の記事で【タテ・ヨコ・算数】という話をしましたが、【タテ・ヨコ・算数】で見れば、現在の日本の制度は極めて歪んだ制度であることがすぐ分かるはずです。新しいサービス産業を生み出している世界のユニコーン企業が、「人を大切にする経営」にシフトしている中で、日本はまたしても大きく遅れをとっていると感じます。